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二都物語感想 (8/25夜公演)

マイファイナル二都。
公演としては、前楽。
終演後、気づいたら心拍数がすごく高くなってて、汗びっしょりでした。何なの、観劇しての、この生体反応(笑)。

(以下、自分がこの舞台をどう受けとめたのか、記録を残しておきたい一心なので、批評めいた言い回しが気になる方は、読まれないほうがよいかもです。いや、誰に何を言われたわけでもないけど、念のため。)

舞台として、前楽だからとかいうテンションでなく、これまでと変わらぬ圧倒的なパワーだったのは、いかにこの公演が期間を通じてものすごく高いレベルで演じられてきたのかを想う。

今日、私の中で、ドファルジュがつながった。
ガスパールがエヴレモンドの館に乗り込むとき、ウムではなくて、今日は後から数歩追って、ガスパールがいってしまった後の梯子を掴んで、苦悶していた、ように見えた。ドファルジュは、やっぱりまだだと思っていたんだ。そして、小ガスパールの葬儀で、ガスパールが逮捕されそうになって、それをかばって、決意する。

パネル、もう一つの発見。
ダーニーがドクター・マネットにルーシーとの結婚を申し込む場面、なんとパネルが赤なのだ。
その前までに、マダムの独白があり、エヴレモンドの手紙があるから、そのままになってる…という見方も可能だろうけど、例えば最初のエヴレモンド邸での叔父と甥の場面(パネル=赤)から、ダーニーとガベルの別離の場面(パネル=白)への鮮やかなパネル転換を見ても、意図なしに放置しておくとは思えない。
明かされなかったダーニーの名前の秘密、後から襲う不幸の予兆。そんなふうにも見える。
舞台演出って、深い。

ガチョウ、もう最後まで『がっちょんちょん』で行くのかと思いきや…満面の笑みで『無言パタパタ』来ました…!
あと、ルーシーの外人な21の指を真似する浦井ダーニーw
(外人な21 … 2が親指と人差し指、1が親指。外人の数の数えかた。)

あと、今日もガベルは見ていたー。(←あの場面のガベルがまた見れたことがとても嬉しい。笑)

今日はなんか、これまで以上に、カートンの心の変遷が、キタ。
最初のほうのソロでは、自分のことをダメ人間と思いながらも一丁前に人を好きになる自分に、自嘲気味に諦める気持ちと、でもやっぱり、と思う気持ちとで揺れていたけど、ルーシーがダーニーと結婚すると知ったときの、「最高の人間が、最高の勝利を得ると、誰が決めたわけでもなかろうが…」と言いながらの揺れかたは、やっぱり自分はダメなんだというのもありながら、でも、そこから意を決して、貴女のためにこの身を捧げるつもりです、と言えるのは、自分に少し価値を見出している。その間に起きたことは、ルーシーが自分を肯定してくれて、人生は美しい、と思えたことだ。

一幕最後の、もしも彼が命を無くしたとしたら…は、ものすごくギラギラした目で歌っている。二幕の裁判後、ルーシーを抱きかかえるように連れていく姿。この一連の場面は、俺の出番だ、ということなのだよなー。もっと早くに気づいて観れればよかったな。

この、全編通してのカートンの気持ちの揺れっぷりが、この二都の舞台の良いところだな〜と思う。その上での最後の決断、の価値。これは、舞台が原作の上を行っている、と思う。

ひとつだけ、ひとつだけ、カートンの演技に「そこは!」と思うのは、「あなたはいつも人のいいところばかり見るんですか」「あなたは、悪いところを?」「今はそうじゃない」、ここ、ルーシーを真っ正面から見て言うのだけど、今この瞬間は、あなたといういいところばかりを見ている…という意味合いがもっと伝わるには、「今はそうじゃない」は、もっとそうっと言うべきだと、思う…。ま、趣味の領域か。これ、すごく英語的な台詞なんだよね。

あと(ひとつじゃなかった)、イギリスでの裁判前に、ストライバーの事務所でルーシーのことを「あの可愛らしいお人形さん」と言っていて、ということは裁判前に会っているのだから、裁判で初めて会ったかのように見つめるのは、チョットちがう気がする…。

でもしかし、それは何度も観て細かく気にすればの話で、井上芳雄君のあの技術的な安定感は、なんなのだ。技術的というと悪く聞こえるかもしれないけど全然そうではなくて、どんな心情を表現するのだって、歌であり芝居なのだから、技術がなければ成り立たないのよ。私は今回の二都の公演期間に渡って、わりと万遍なく観たけれど、打率で言えば、十割打者ですよ彼は。えと、歌は少なくとも。(芝居は、今もいいけど、きっともっと良くなる部分がある、気がする。)
あの水準を、まったくブレなく毎回performするために、彼は一体どんな大変な努力を、見えないところでしていることだろう。
私は特に彼のファンではないけれど、プロフェッショナルとして、大の舞台ファンとして、井上芳雄君を心の底から尊敬します。

むしろ最近お気に入りの浦井君のことをあまり書いてないのが面白いな(笑)。やっぱり、役柄的に、カートンの写し鏡なんだよね。ダーニーって。
今は子供のままで、で、ぶるぶる肩を震わせて泣きながら歌う浦井ダーニーが好きです。曲の中で、高ぶるポイントは、日によってちょっとずつちがうの。

終盤に向けての、ロリーさんとカートンの場面が好きだなあ。両親に嫌われてたんじゃない、自分が嫌ってたんだと言ってたカートンが、貴方のような人が父親だったなら、きっと悲しませるのは耐えられなかった、でも「幸い」貴方は僕の父親じゃない、(だから自分の計画を決行できる…) と…。
ロリーさんが気づきかけて、疑問を口にしようとするのを、カートンがすいっと逸らすの。切ない。

バーサッドとカートンの「一か八か」の場面が、もう観れないのが悲しい!大好きだったのに〜。福井さんの動きや台詞まわしが大好きだー。カートンが、意図がバレやしないかドキドキしながら様子を伺っていて、バーサッドの勘違いにここぞと乗っかる流れとかも大好きだー。

マダムの最期、ずっと気になっていて、今日も自分の中で解決しなかったのは、なぜ、演出的に、ドファルジュはマダムの息がある間に、ミス・プロスとクランチャーを行かせたのだろう、そしてマダムにそれを見送らせた上で息を引き取らせたのだろう、ということ。私がマダムなら、ムチャクチャ悔しい。絶対許さない。でも特にそういうリアクションもなく、息を引き取っていく。どういう意図なのかな。あれは。なぜ彼女にそれを見せたのかな。
(追記。マダムが亡くなった後のタイミングで逃がしてやると、夫ドファルジュのマダムへの裏切りのようになるからかしら?)


思い出したら、尽きないけど…
尽きないので、ここでアップします。

私の夏休みも、これにて終了。
観劇にあたって「通う」という行為を基本的にしない私が繰り返し足を運んでしまった二都が、仙台への転勤の前の、このタイミングで上演されたというのは、個人的な小さな奇跡。


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二都原作メモ

とりあえず、これも備忘録代わりに、原作を読んでみて、舞台と違ってたところ、気づいたことをメモっておく。


ダーニーはフランスでの裁判で、一度無罪で釈放されている!そしてすぐにドファルジュ夫妻に起訴されて捕まっている。

バーサッドは、ミス・プロスの生き別れの兄。本名ソロモン。
最初イギリス政府のスパイで、のちにフランス政府のスパイになる。
原作ではエヴレモンドとは関係ない。最初のイギリスでの裁判ではダーニーを陥れる同じ役割だけど、叔父が仕組んだものだとは書いてない。

「ロリーさん、あなたの一生も、振り返ってみれば長い一生だったでしょうね?」
「今年で78だ」
うわ、それは長い。…と芳雄君に代わって言いたい。(舞台の設定は68)

カートンの生い立ちとかは、本当に何にも書かれていない。決断に至る過程も、ちっとも書かれていない。
舞台は本当によく出来てるよ。作品としての質は、原作よりも舞台バージョンのほうが高いかも。

ガスパールは、エヴレモンド殺害のかどで、縛り首になっている。

ガベルは民衆の裁判を受けて、釈放されてる。

冒頭のワインがこぼれる場面は、原作にもある!

舞台では出来事がどんどん起きてるけど、原作は時間の経過が結構ある。
ガスパールがエヴレモンドを刺すのは子供が轢かれてすぐだけど、革命までにはそこから一年以上経ってる。
ダーニーはフランスで捕まってから最初の裁判 (亡命貴族が帰国したら死刑、というのと、エヴレモンド一族への告発は、別々の裁判になっている) まで、一年三ヶ月とか経ってる。

マネット医師は、フランスでダーニーが二度目の告発を受けたのを救えなかったショックで、また気がおかしくなってしまう。
ミス・プロスは、マダム・ドファルジュとの揉み合いからの発砲で、耳が聞こえなくなる。

最後に、お針子の手を握っていてやるのは、同じ。クローダン一家の少年が手を切り落とされて、お針子がエヴレモンドに嘆願に行く…というエピソードは、無い。

こうしてみると、舞台版として再構築した部分が割と多い。そして、特にキーになる台詞において、原作のことばをそのまま活かしている箇所も、非常に多い。
脚色が、すごく良いということが、原作を読んで分かった。

日本版の役者さんの力量で、役がふくらんだところも、ものすごくあるよなあ。カートンはじめ、ダーニー、マダム・ドファルジュも。

あと、音楽の力ね。


二都物語感想 (8/20昼公演)

観るとこ多すぎる。みんながいろんなことをやっている。

貴族の馬車に蹴散らされてワインが樽からこぼれたあとに、「あふれるのはワインだけじゃない / 切り分けるのは奴らの肉だ」。
英語詞は:
When people are thirsty, and ready and willing,
Then it won’t be long till something else but wine is spilling.

The butcher is idle when people are starving,
But it won’t be long till there’s another kind of carving.


岡さん、甥との場面で最初だけシュッと「ムスュー・ダーネイ」って言ってる。(こだわりのフランス語発音 笑。以降は「ダーニー」)
[※追記: あとから見て分からなくならないために…「こだわりのフランス語発音」とは、岡さんがご自身でブログに書いていた表現です。原典では、英語版でもダーネイって言ってます。ちなみに。原作の日本語訳では、新潮版がダーニーですね。日本の舞台版ではこれを採用したのかな。]

今日やっと「見ておりませんでした」の前のガベルが見れた!
(マダムがエヴレモンドに硬貨を叩き返す場面)
いつもマダムに目が行っちゃうから、ガベルはきっと見てたんだろうなあと毎回思いながら、現場が見れなかったのよ〜。
やっぱりガベルは見ていた!

ドファルジュの気持ちの変遷が、やっぱりイマイチ(私の中で)きれいにつながらない。out of sightで、マダムにあんたいつまで待つの、と言われて、黙って手を握り返すんだけど、ガスパールがエヴレモンドの館に侵入しようとハシゴを登るときには、ウムと頷いて見送っている。てっきり、小ガスパールの葬式で堪忍袋の尾が切れる流れかと思ってたんだけど。

カートンの気持ちの変遷も、やっぱりきれいにはつながらない(私の中で)。裁判シーンで見つめ合うダーニーとルーシーの間に割って入ってルーシーをガン見しては、いた。(見とれてる感じでもないのよな…。) 裁判が終わったら二人がくっつくよなとも思っている(事務所でのストライバーとの会話から)。裁判後にダーニーと飲みに行って、ミス・マネットへの想いはバレバレだと突っ込んでるけど、そこまでのシーンでは二人のことを見てはいない。もっとその手前に、ルーシーをガン見するだけでなく、二人のことをふーんと見て、ああこの二人やっぱりうまくいっちゃうな、と思っているシーンとかがあると、分かりやすいのかな、と思う。

すみれさんの「どうしてこんなに時間がかかったの」、好き。

ミス・プロスがイイ。すごくイイ。ロリーさんもガベルもすごくイイ。好きー。
(バーサッドが好き、はずっと言っているので。生まれかわったらバーサッド演りたい。)

よみがえる、という言葉が随所に出てくる。マネット医師の蘇り。カートンは、自分は一度死んでいたけど、ルーシーを愛してよみがえったと…。そして、独房で入れ替わり、ダーニーに「お前は生き返ったんだ」。そして彼に託す。「これをつけている限り、少しは自分を大切にしている」スカーフと共に。

ダーニーの独房をカートンが訪ねる場面、音楽が「夢が叶う…」のメロディなのが、泣ける…。

今日は今さら赤白パネルの色に注目して観てたけど、赤パネルは「抑圧」や「流血」の場面に、白パネルは「善意」や「愛」の場面に使われているけれども、本日の白眉な発見は、私の大好きな The Bluff (カートンとバーサッドの取引き) の場面には、赤白両方のパネルが使われていること!!手前が赤で、奥が白。配置も、縦位置と、横位置に。言葉と本音と。見事!
そして、マダムドファルジュが夫の腕の中で死んでいく場面は、白パネルなんだな。それまでずっと赤パネルの場面に出ている二人なんだけど。
パネルがなくなる、小ガスパールの葬儀の場面も印象的。

今日観てまだ足りなかったらもう一回増やしてもいいと思ってたけど、あと残り一回で満ち足りそう。
ラスト一回を、味わい尽くそう。

二都物語感想 (8/18昼公演)

感想ブログは、毎回書いてるわけじゃないけど…

前回観てから今回までの間に、International Studio Recordingで英語詞何度も聴いたから、舞台観たときに日本語がだいぶ頭に入るようになってきた。原作も半分読んだので、いろいろ見えてきたこともある。

If dreams came true の、ダーニーの「幸せ…感謝」という日本語歌詞が好き。大好き。英語は「I won't forget... how blessed I am」と、文章なんだけど。こういう、原語のエッセンスを音数の中でぎゅっと凝縮しきった訳詞に出会えると、嬉しくなる。

Out of sight, out of mind は、歌詞のニュアンスが日英でだいぶ違うような。英語は見えない場所で虎視眈々と準備を進めるということがメインのかんじ。日本語はそこにいないかのような扱いを受けていることがメインのかんじ。

前回ツイートした、ドファルジュの「及び腰」を撤回します。一幕中盤、マダムがゆすぶる手を強く押さえるドファルジュ。今じゃない、という無言の意志。抑圧からの解放という夫妻共通の目的・あるべきかたちと別に、私的な復讐という強い動機を持つマダム。この動機の違いが後半での二人の方向性のズレにつながってくる。

一幕ラスト、フランスに戻ったダーニーが捕まったシーンでのカートンの歌、What if he cannot be saved? What if he dies, what if she turns to me? は、日本語では「もし彼が命を落としたら?」だけ!日本語詞だけではカートンの揺れが見えない。字数制限の壁、難しい…!
レミゼでいうとWho am Iの前に、自分と間違って逮捕された男がいると聞いて、一瞬喜ぶバルジャンの心の揺れ。人間として当然の揺らぎ。それを乗り越えて選択するから、深みがあるし真実がある。
文字数制限によるギャップを埋めるのは、役者と演出に委ねられる。
二幕、ルーシーを休ませるシーンでのカートンは、まだ揺れてる。だから口づけもする。行かないで、とうわ言に呼びとめられれば、ひょっとして自分のことかもしれないと思って振り返り、そっと寄り添う。でも、夢に現れるのはチャールズ。呼びかける相手は、チャールズ。カートンが身を引く決心をするのはここだと思う。そして以前の約束のとおり、自分を犠牲にしても彼女の幸せを護ろうと思う。でもどうやって?そしてクランチャーとの場面につながる。そしてhowを見つける。

「物語」の場面で、日本語は、姉さんの旦那さんは「いたぶられて死んだ」となっているけど、英語詞は、馬車に縛りつけられて引きずり回されて殺された、と描写が詳細。

原作読んだら、エピソードの順番がだいぶ違っていてビックリ!舞台はすごくよく再構築されている。
最初の裁判の前の、酒場のシーンは原作に無いのですよ。ビックリ。叔父とダーニーのシーンもあのタイミングには無いのよ。最初の裁判が、ダーニー、カートンともに、原作の初登場シーン。
(だがしかし、その後カートンが事務所で顔にタオルを載せる場面はちゃんとあるw)
エヴレモンドは、原作ではなかなか出てこなくて、出てくると割とすぐに、子供轢いて、ダーニーと食事して(手紙でなく対面。これが舞台での最初のほうの二人の会話のような内容)、その夜刺されて死ぬ。で、そこから一年経つ(笑)。
岡さんのエヴレモンドが男の子を轢いても揺らがなく(動揺しなく)なったのは、原作に寄り添って造形し直したのかなあと思う。原作は、民衆をネズミとしか思ってなく、子供を轢いたときも、面倒が起きたから弁償ぐらいはしてやるゆとりは持っているぞ、というような人物。

バーサッドの好きな台詞集 (やはりうろ覚えなので、大意だけど):

「最初から俺をぺてんにかける気だったんだ!俺とあんたがおんなじ種類の人間だなんて、とんでもねえ!」

バーサッド「するとあんた、俺に借りを返すのが、かなりむずかしくなるんじゃねえか」
カートン「あんたはすぐに俺に追いつくと信じてるよ」
バーサッド「俺とあんたは同じところに行くとは思えねえけどな」

「俺のことを勘違いされたくないからな」
(ダーニーを運んできた謝礼を受け取って)

wikiによると、バーサッドはそれでもやっぱり改心はしなくって、最終的には断頭台に送られることが示唆されている、らしい。
そこも彼らしい。

原作の下巻も、舞台を最後に観る前までには読み終えたいなあー。


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It's not about winning the moment.  It's about winning the day.

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